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憧れと模倣、そして生まれるアイデンティティ…

今週のR25にみうらじゅんのインタビューが載っていたんだけど、
すごくいいコトを言っていたので、以下引用。


「人に憧れてマネをしてなりたくてやってみて、でもなれない。
 自分探しっていいますけど、そんなの探しても見つからない。
 この人にもなれないあの人にもなれないって、なくしていった末に、
 これにしかなれないっていうところがある」


そうなんだよね、いくら憧れたって嫉妬したって
その存在に近づくコトは出来ても、
その存在に成り代わるコトは出来ない。
憧れと憧れるのになれないもどかしさとの間で
もがきながら苦しみながら築かれていくモノが
その人らしさ、アイデンティティなのかもしれない。
だから結局、憧れの対象にはなれない自分へのいい意味での妥協と自分を愛することが
“自分”という人間を
誰かの模倣ではなく、“個”という存在として確立していくことにつながるのかもね。



そういえばこの間、プロトランペッター志望の先輩から
こんなお話を伺った。

音大のジャズ科に通っていても、
みんなやっているコトはチャーリー・パーカーのコピーばかり。
それでジャズをやっている気になってしまっている。
でもチャーリー・パーカーなんて60年も前のジャズミュージシャン。
チャーリー・パーカー後、ジャズは進化していないのか?
チャーリー・パーカーだけがジャズなのか?
確かにチャーリー・パーカーの功績は偉大だ。
でも、チャーリー・パーカーのコピーをしているだけなら
それはただの真似事にすぎない。
今の時代の自分にしか出来ないジャズを
なぜやろうとしないのだろうか?


そうなんだよね…別にそれは音楽に限った話ではないんだけど。
たとえば好きな異性に自分の思いを伝える時にどう言えばいいか?
「愛してる」
「あなたのコトが好きです」
「君と一緒にいたい」などなど…。。。
ひとつの思いを伝えるのにもいろんな言葉を使うコトが出来る。
何も言葉で伝えなくてもいい。
ボディランゲージで伝えてもいいし、
音楽や絵で伝えてもいいし、
目で伝えてもいい。
そういうボキャブラリーや手段を増やしていくために
私たちは憧れたり真似をしたりするワケで、
最終的には自分の言葉や方法で思いを伝えることになる。

音楽の話に戻ると、チャーリー・パーカーのコピーは大切だと思うけれど、
それが最終的な到達点ではない。
チャーリー・パーカーのフレーズや歌いまわしを
自分の中にストックしていくコトによりボキャブラリーを蓄え、
最終的には自分の歌を自分らしく歌うのが到達点なんだと思う。
それがその人らしいその人にしか出来ない音楽になるんじゃないかな?



だから自分探し自分探しっていうけれど、
最初から自分らしさなんて存在しないし、
簡単には見つけられない。
はじめは真似だっていいと思う。
憧れたり真似したりするコトによって
確実にキャパシティは広がるから。
自分らしさを探すのはそれからでも決して遅くないハズ。
そして、自分らしさが見つかった!と思っても、
自分らしさは日進月歩、時とともに変わり続けるモノ。
そうやって自分という唯一無二の存在は
日々成長しつづけるんじゃないかな?



偉そうに綴っていても、
私だって何もわからないけれどね…(苦笑)。。。

by kaori-Ux_xU | 2006-03-10 22:30 | thinking