形あるものとして残す

さっきお風呂でぼーっとしていたらふと気づいたコト。



私は中高4年間テニス部だったんだけど、
高2の11月に引退する時に、むなしさを感じたんです。
「たとえば新聞部の人は、自分たちが活動してきた証が
 新聞という形ある作品で残るけれど、
 テニス部の私にはそういうのってないよなぁ…。
 思い出はたくさん出来たけれど、なんかむなしいなぁ…。」って。

もちろんテニスだって、たとえば大会で優勝すれば
賞状やトロフィーといった形で残すことは出来るし、成績だって残る。
でもそれってただの結果にすぎないような気がする。
新聞部員にとっての新聞も、取材から初稿を書いて
そこから何度も推敲を重ねた上での結果であるといえばそうなんだけど、
やっぱり性質が違うような気がするんだよね、テニス部員にとっての成績や賞状とは。
まあそんなコト以前に、うちの中高のテニス部は弱かったし、
私なんてその中でも補欠の補欠みたいなどうしようもない乱打要員だったので、
試合もほとんど出てなかったんだけど…(爆)。


そんなコトは全然意識していなかったんだけど、
気がつけば、2年の前期から学部の広報誌の編集に
学生編集部員として携わっていました(笑)。
で、今頃になってそんなコトをかつては思っていたコトを思い出しました。
う~ん、不思議なもんだ。

実際に学部の広報誌に記事を書くようになって、
自分が書いたものが形になって、多くの人の手に届き、
影響力を与えてる実感や喜びっていうのは感じてる。
オフィシャルなものだし、自分の記事にはちゃんと名前も入るから
責任の重さやしがらみも感じるけどね…。
とはいえあくまでも読むのは学部の関係者だけだから
そこまで大きなメディアでもないけど。
(と思ったけど、正確な発行部数は知らないけれど、
読んでる人数って1000人は軽く超えるなぁ…ひょえぇぇ~。。。)


で、さらに未来のお話。
私が今、デベロッパーって職業に憧れているのも、
「形あるものに表したい」って思いによる部分もあるのかな?って思った。
自分の考えた計画が、ショッピングセンターっていう形で表れるからね。
それは形あるものとはいえ、
新聞や広報誌とは違って、変わることなく半永久的に残るものではなく、
上書き保存のように常に変化させ続けないといけないものだし、
変化させ続けないと残せないものだけど。
でも新たに新作(=新しいショッピングセンター)を増やすだけでなく、
既存のものも上書き保存しないと残せないって部分も
その仕事のおもしろさだと私は思ってる。


そんなワケで、私にとって「形あるものとして表す・残す」っていうのは、
大切な価値観なのかなって気がした。
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by kaori-Ux_xU | 2007-01-24 02:26 | me