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死後に何を残せるか

 監督の深作欣二さんの告別式をテレビで見た。恥ずかしいことに私は深作監督の作品を一本も見たことがないが、監督がいかにすごい監督であるかは私でも想像がつく。そんな監督が新作映画の撮影中に亡くなられてしまったのは実に残念だ。しかし、深作監督が亡くなっても60本もの作品が残っている。誤解を恐れずに言えば、私はそのことがうらやましい。
 私は中学・高校とずっとテニスを部活でやっていた。しかし、万年乱打部員だった私にはずっとテニスをしていた証が何一つない。今思えば私の努力が足りなかっただけのことなんだけど、証がないということは実に虚しいと引退する時強く思った。その点新聞部などは活動した証が新聞という形で残ることがうらやましかった。
 私が死ぬ時、私は何を残せるのか?人はいつ死ぬかわからない。私が今日死ぬとしたら、私には何も残せるものがない。私が死ぬ日まであと何日、何年あるのかはわからないが、死んでも深作監督のように何か残せるといいな、と思う。
 監督のご冥福をお祈りします。
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by kaori-Ux_xU | 2003-01-16 15:04 | thinking

18歳

 日本の社会で生きるには、私は18歳っていうのがものすごく大きな区切れだと思う。そう思うのは私がまだ19.5年しか生きていないからなのかもしれないけれど…。
 18歳というのは、多くの日本人にとって高校を卒業する年齢だ。高校を卒業すると、日本人はそれぞれの人生にむけて別れて進んでいく。もちろん高校を卒業しない人だって、それより前に自分の生きる道を決めて進んでいる人だって、18歳で高校を卒業しない人だっている。高校だって普通科から定時制、商業科、農業科、工業科、語学に力を入れている高校などいろんなタイプがあるから、中学卒業の時点でもある程度別れてはいる。しかし、高校生と高校卒業後っていうのは明らかに立場が違う。高校生、または18歳未満っていうのは何をやっていてもだいたい許される。好きでもない勉強を親の学費で学校に通ってイヤイヤしていても、それほど冷たい目で見られることはないだろう。まあ塾などは話が別だが。だが、高校を卒業すると、個人としての扱われ方が大きく変わる。一人の人間として、大人として見られるのだ。この差はこの間の春、私は身にしみて実感した。そして、求められるものも変わる。いかにして自分は生きていくのか、という姿勢を求められるのだ。大学に行くのならそこで何を学ぶのか、働くならどういう仕事でどういう結果をおさめるのか、専門学校ならどういう技術を身につけるのか、などと。高校では惰性でもなんとかやっていけたのに、そこから出ると主体性が求められるのだ。
 そう考えると、18歳までに自分はいかに生きていくのか、という自分の生きる道を見つけていれば、その後は生き易い。もちろん見つけている人だってそれなりに悩むことはあるだろうけれど。学びたいなら大学に行けばいいし、働きたいなら就職すればいいし、自分がやりたい仕事をするには大学を出る必要があるのなら大学に行けばいいし、技術を身につけたいなら専門学校に行けばいいし…。18歳より1年くらい前までに自分の生きる道を見つけていれば、その方向付けがしやすくなるだろう。
 だが逆に18歳までに自分の生きていく道を見つけられなかった人は一体どうすればいいのだろう?私は18歳をすぎているのに、未だに見つけられていない。そして主体性が求められている社会に適応できず、困っている。もちろん80年っていう大きな人生のスパンで見れば、18年なんて大して長くないし、その後1~2年迷ったって大したことはないだろう。だが、分母が80の時の分子1と分母が19の時の分子1は大きく違う。そして大したことないように見えるその1~2年だって、その人は18歳までに自分の道を見つけられた人との差としてずっと引きずって行くことになる。そんな迷う時期だって1~2年って保証があるわけではない。ずっと道を見つけられないでい続ける可能性だってある。
 この日本に18歳を過ぎても自分の生きる道を見つけられずにいる人たちがまっとうに生きていける場所は果たしてあるのだろうか?世間体なんて言葉は大嫌いだと思っている私が実は一番世間体にとらわれているだけなのだろうか?
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by kaori-Ux_xU | 2003-01-04 03:27 | thinking