変えられない自分と変わっていく自分

最近、ものすごいスピードで自分が変わっているのを感じる。
音楽・サックス・ネット___この3つを通じておそろしいほどに自分が変わっているのだ。



変化の始まりは、やはり「Fusionism」のオープンだろう。
はじめは手探り状態でのスタートだったが、オープンして約1週間後に1つ目の転機が訪れた。
偶然が重なり、サックス教室の発表会でやるアンサンブル「チキン」の一部メンバーが
顔を合わせられることになり、一部メンバーと先生で飲みに行った。
ところが先生が組んで下さったメンバーだったので、私はその場の人と全く面識がないし、
私が一番年下なので、めちゃくちゃ緊張し、完全に石状態…。
そんな私が最後の最後に勇気を振り絞って「皆さんは普段どんな音楽を聴かれるんですか?」
と聞いてみたところ、そのうちの1人が「ロック」と。
そこでもう一歩「サックスが入っている音楽を聴くからサックスを始めたというわけではなくて…?」
と突っ込んでみたら、なんと「あ、あとDIMENSION聴きますよ!」と
こっちから言っていないのに“DIMENSION”の名が!!
うわぉ!!ビンゴ☆It's miracle☆
その後の私は、もはやさっきまでの人見知りな姿とはうって変わって、スゴかったらしい…(苦笑)。
で、その日はその人に「Fusionism」のアドレスを教え、別れたのだが、
その後その人を通じて「DIMENSIONファンの熱い女の子が…」って話が
顔合わせにいなかった「チキン」メンバーにも広まってしまい、
第1回「チキン」合同練習の際には、「あー、DIMENSIONファンの熱い子ですよね?」と…(苦笑)。
おかげで初対面にもかかわらず円滑にコミュニケーションができ…。
そうしてサックスを始めて1年2ヶ月で、ようやく目的の1つであった
「DIMENSIONトークを一緒に出来る人と出会う」を達成することが出来たのでした…(笑)。

もう1つの転機は、“わかめさん”との出会い。
「Fusionism」を始める前から見ていたキーボード&エレクトーンプレーヤーの窪田宏さん
(TRIXのメンバーでもあり、カツヲとKK JAMというセッションユニットも組んでいる)のファンの方の
ブログをある日見ていたら、「TRIXファンを発見」と、あるブログにリンクが貼られており、
そのリンク先へ行ってみると、な、なんと管理人さんのお名前がわかめさん!!
しかも私と同世代の学生さん!!
これにはホント腰を抜かしそうになるほど驚きまして、思わずカキコ!!
そうしてお互いのブログでワカメとわかめさんによる奇妙なやりとりが始まったのでした…。
そんなこんなで気がついたら「Fusionism」もだいぶヒット数がのびてきまして、
おかげ様で約1ヶ月半で400ヒットを突破!!
約2年半やっているのに2900という「ハダカノココロ。」が抜かされるのも時間の問題って感じですが…(苦笑)。


で、気がついてみると、音楽・サックス・ネットという3つを通じて、ものすごく明るく饒舌になっている自分がいた。
ここ数年はずっと人付き合いに苦痛と恐怖を感じ、人見知りをしたりふさぎこんでしまったりしていた自分が、
自然に自分から3つを手段とすることによってとけこめるようになっていた。
確かにそれはお互いの本質的な部分にふれあうようなつきあいではなく、
表面的なつきあいにすぎないが、それでもなんだか中学の前半くらいには発揮できていた明るさを
取り戻せているような気がする。



もう1つ興味深いのはサックスという存在。
サックスというのは、ピアノのようにいつでも誰でもジャストピッチの音が出せる楽器ではなく、
まず正しい音程の音を出せるようになるのに苦労する楽器で、
さらに音色も吹く人の吹き方によってたとえ同じ楽器でも全然違ってくる。
よく「サックスは人の声に最も近い楽器」といわれているが、
サックスはまさに自分の理想の音色を作り出し、
自分のイメージする“歌”やニュアンスを歌い上げることが出来る楽器なのだ。
となると重要になってくるのは理想のイメージ作り。
かのカツヲ様もインタビューでこう語っている。
「ロングトーン(注;吹奏楽の基本。1つの音を長く出す練習。テニスで例えれば素振りみたいなモン。)はやらないなぁ(笑)。(中略) 音色を作りたいのなら、まずはイメージですね。どんな音を出したいか、常に自分のアイドルとするミュージシャンの音を頭の中に持っていて、練習している時にそれを思い出しながらやればいい……あの軍隊っぽい練習って、やっぱりおかしいですよ。音楽をやるために練習してるのに、サックスを吹くためだけの練習ってあるじゃないですか。「タンギングの練習です。ターター、タッタッタッタッ…」、くっだらない(笑)。(中略) 結局自分がどういう音を吹きたいか、どういう音楽で自分を表現したいのかということが大切で、楽器や技巧が助け船を出してくれるわけじゃない。(中略) 自分の表現したい音楽がどこにあるのか、どういうものなのか、それを一番強くイメージできている人が、やはり演奏技法にも長けてくると思うんですね。僕も、自分にしかできないたったひとつの演奏スタイルっていうものを目指したいんですよね。」

やや暴論なきらいもあるけれど「カツヲ、ええこと言うなぁ~」と思った私は
そんなカツヲ様の言葉を鵜呑みにして、ロングトーンやタンギングの練習といった基礎練は怠り気味で
(でもこの基礎練不足による限界も感じている今日この頃だったりもする…;苦笑)、
イメージを持って歌うことを「チキン」を練習する際に大切にしたわけですが、
この作業が実は結構大変だったりする…。
先生のお手本を聴いたり、カツヲだったらこう吹くだろうなぁなどと勝手に想像したりして
曲のイメージを頭の中で作るところまでは楽しいんだけど、
これを実際に自分の楽器を通して再現し、その音を客観的に聴かないといけないのが難しい。
自分の音を客観的に聴いて理想のサウンドを作っていくという作業は、
いかに自分のサウンドを好きになるか、自分に酔えるか、という作業でもある。
結局「チキン」に関しては最後まで理想のサウンドを再現することが出来ずに終わったんだけど
(でも本番はそんなことを超えるchemistryが起きたので満足している)、
やっと最近音色に関してはだいぶ自分の音色を出せるようになってきたかな、って
自分の音色を受け入れられるようになってきた。
まだまだいつでもベストな音色を出せるわけではなく、調子のいい時と悪い時の波もあるんだけど…。


自分のことが100%大嫌いで、自分を責めてばかりで、自分のことを好きになれない私にとって、
自分の音を受け入れていくという作業は難しい作業ではあるが、
もしかしたらそこに自分を変える突破口があるのかもしれない…。

今年の誕生日、某友人からもらったメールに、こんな言葉が書かれていた。
「変えられない自分にもがいてんのかもしれないけど、
 人は自分でも気付かないうちに変わってるしさ、変わらずにはいられないわけで。
 そしてかおりには可能性と希望が沢山あるわけだし、
 無理に変えようとしなくても嫌でも環境は変わるし少しずつでも光は見えてくるっしょ。」

別に光なんて見えていない。自分の可能性なんてわからない。
自分の将来に音楽やサックスがつながっていくことは、おそらく99%ありえない。
でも、音楽・サックス・ネットの3つが確実に私を変えてくれている。
ならば私は、この先もこの3つの可能性を信じたい。この3つと共に生きていきたい。

この3つはこの先、私をどのような世界へといざなってくれるのだろうか?
友人からの言葉をかみしめながら、私の旅は続く…。
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by kaori-Ux_xU | 2004-12-22 00:06

ニート

“ニート”という言葉をご存知だろうか?
ニート(NEET)とは“Not in Education, Employment, or Training”の頭文字をとった言葉で、
働こうとしない、学校にも通っていない、仕事につくための専門的な訓練も受けていない、
仕事によって自分の未来を切り開いていくことに希望を持てない若者のことを指す。
つまり、アルバイトや派遣といった不安定な形態であってもとにかく働いているフリーターとも
今は働いていなくても働くことを望んで何らかの行動をしている失業者とも異なる。
そんなニートと呼ばれる存在の若者が、現在日本に40万人はいると言われている。
かくいう私は、一応大学受験に向けて勉強しているという観点からすれば“ニート”ではないが、
ニートに当てはまらないとしても極めてニートに近い状況であると言えよう。

そんなニートに関する研究の第一人者である東京大学助教授(労働経済学)玄田有史氏と
フリーライターの曲沼美恵氏の共著「ニート フリーターでもなく失業者でもなく」(幻冬舎)を読んだ。
玄田氏はこの本の中で、ニートは働く意欲の弱い一部の若者の問題では決してなく、
誰にでもなる可能性はあると述べている。そして、ニートの増加を食い止める対策として、
全ての14歳(中学2年生)に対して5日間の職場体験をさせることを提唱している。
なぜなら、実際公立中学校2年生全員が5日以上の職場体験をしている兵庫県と富山県を取材した結果、
子供たちは職場体験をする中で、職業選択や職業意識といった大それたものではなく
生きていくためにはもっと大事な「何か」を学び取ることがわかったからだ。
それは、人生の中で大きな支えとなる社会で生きていくための実感であったり、
ささやかな知恵であったり―14歳で1週間働けば絶対にニートにならないという保証はないが、
ニートに欠けている“大切なもの”を身につけられる可能性が14歳での職場体験にはある、というのだ。


私自身は14歳の時、明確すぎるほどに確固とした将来の目標を持っていた
少数派に分類されるタイプの子だった。
しかしそんな子でも14歳の時の想いのまま成長できるわけでは決してなく、
挫折や紆余曲折を経て、ニートに極めて近い状態である現在に至っている。
そう考えると14歳での職場体験が必ずしもニートの減少に効果的であるとは思えない。
しかしニート云々の問題を抜きにしても、学校という限られた居場所にとどまりがちで
狭い世界しか見えなくなってしまいがちな14歳が、そうやって社会に出てみることは
十分に意味があることだと思う。


そんなことを思いながら我が母校のことを思った。
私の出身校は(ここを見ているほとんどの方はわかっているけれど)私立の中高一貫校で、
決してスパルタ教育の進学校ではなかったが、入学時点では偏差値60代半ばくらいなので、
勉強は出来て当たり前、名門大学に入り、将来は医者や弁護士といったステータスについたり
一流企業と呼ばれる所に就職したりするのが当たり前といった世界だった。
さらに今では信じられないことに、入学したばかりの頃は私もそんな考え方をする1人だった。
そんな世界は、何の疑問も抱かない者にとっては、切磋琢磨し自分を常に高めていくことに
快感を覚えられる環境であったが、はみ出すことを許されない世界なので、
一度疑問を抱いてしまうとこの上なく居心地の悪さを感じてしまう環境だった。
そんな我が母校では、ミッションスクールだったのでボランティア活動ならしたし、講演会ならあったが、
職業教育や職業体験は全く行われなかった。
進路指導はほぼ放任状態だったが、学校側から大学進学以外の選択肢を示されたことは一度たりともなかった。
ただ、なぜ大学へ行くのかは考えるようにいわれたが、そんな問いかけに対して
「なぜ大学へ行くかなんて今更考えることじゃなくて、ここまで来たら当たり前に決まってるじゃん。」
と言っていたある友人の言葉が、妙に印象的だった。
そしてそんな友人は、見事現役で東大へ行った。その後どうしたかは全く知らないが・・・。

別に私は母校を責めるつもりは全くない。
それにトップであることに何の疑問も抱かずに走り続ける生き方を否定するつもりもない。
むしろそうやって上だけを目指し続けることに何の疑問も抱かずにいて、
それでその人が幸せに過ごせているのだとしたら、それはそれで望ましいことだと思うし、
そんな人は疑問を抱いてしまった人が気づいてしまった世界を知らないまま過ごす方が幸せだろう。
ただ、私たちは井の中の蛙だったのではないか、という想いがある。
卒業前、いろんな先生が口々に「うちの学校は温室だから」と言っていた。
職業体験もなければアルバイトも禁止だったし(と言っても実際には隠れてこっそりアルバイトをしていた子も
わずかだがいたし、私も長期休暇中にしたこともあったが、全体的にアルバイトをする風潮はなかった)、
当然定時制もないので社会人と触れ合うようなこともなく、
自分の世界は学校と塾だけ、社会との接点なんて全くないという生徒が大半だった。
だからみんながみんなお山の大将状態だった。
その世界の中で留まっていられる間は、お山の大将でいられればこの上なく幸せなことだ。
しかし、外の世界に気づいてしまった時、自分の世界に疑問を抱いてしまった時、
何の生き抜く力も術も与えられていない私たちは、途方に暮れてしまうだろう。
与えられることを望むのは間違いで、自ら学びとっていくべきだと言われてしまうかもしれない。
しかし、上だけを目指し走り続けるお山の大将は、どんな世界でも生き抜く術を学び取るなどという
発想をしうるだろうか。そう考えていくと、私の母校はエリートかニートかの両極端を生み出す
ある意味とてもリスキーな環境だったのかな、って気がする。


         ◆  ◇  ◆  ◇  ◆  ◇  ◆  ◇


人は誰しも大なり小なり多かれ少なかれコンプレックスを持っている。
それは容姿に関することであったり、過去のトラウマであったり、
国籍や生まれ育った境遇といった変えられない運命であったり―そんなコンプレックスと
なんとか折り合いをつけながら、日々を暮らしている。
中でもニートが共通して抱えているコンプレックスは、働く自分に自信が持てない、ということだろう。
そしてそんなコンプレックスが自分の中で肥大化してしまい、何も出来なくなってしまった状態がニートなのだろう。
どのように、働く自分に自信が持てないのかは、人によって異なる。
働き出してもすぐやめてしまうのでは?って不安かもしれないし、
やりたいことがわからないという想いかもしれない。
それになぜニートになるに至ったかも、人によって様々な要因が複雑に絡み合う様は異なるので、
ニートを十把一絡げにして論じることは出来ないだろう。

だからこそ私は人を知りたい。
ニートである人もそうでない人も、自分と同じようなことで思い悩んでいる人もそうでない人も。
1人1人、何を考え、何を感じ、どんな影響を受け、
今までどのように生き、そしてこれからどのように生きていくのかを。
それが出来る場が、私の志望先にはあるんじゃないかと思ったことを
ニートについての本は、私に思い出させてくれた。
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by kaori-Ux_xU | 2004-12-12 00:07